印刷のラクスルを極め、
史上最多ミッションをクリアしてきた男の考える「プロダクトマネージャー」とは

甲木 陽一郎 | ラクスル事業本部 プロダクト開発部 DTP ラボグループ マネージャー

大学卒業後、在学時から所属していた数人のベンチャー企業へ入社。大手音楽レーベル、チケット販売エンターテイメント企業等のシステム開発・ディレクション業務、および自社ポイントアプリ事業のWeb・アプリマーケティングのディレクション・広告運用業務に従事。

2016年1月にラクスル株式会社入社。開発ディレクション、工程管理などプロダクトマネジメントを中心に、マーケティング、商品開発、生産管理、工場ライン設計、オペレーション、BPRなど様々な業務に従事。現在は印刷データのチェックを行うオペレーションの自動化に従事。

これまでのキャリア

今、なぜプロダクトマネージャーとしてキャリアを歩んでいるのか。その原点は、大学進学で上京した際に住んだ学生寮での出会いがはじまりでした。

高校卒業までは、8年間ほどバスケットボールに打ち込んでいました。年代別の日本代表候補選手に選ばれたこともあり、大学進学もスポーツでの進学を考えていたのですが、セネガル人選手と対戦して身体的能力では勝てないと心が折れてしまったのと、身内が多数亡くなったこともあって「生きるとは何か」について自問自答をする日々が数ヶ月ありました。この時に「人はいつか死ぬのだから、興味のあることを見つけて、いつ死んでも後悔しないように生きよう」と思ったのが根底にあります。

このような考えに至り、このままスポーツ推薦というレールに乗って、生涯スポーツで生きていけるのかを考えた結果、スポーツ推薦でなく一般の大学へ通常入試で入学を決め上京しました。上京時、お金がとにかくなかったので3万円/月(光熱費込)で2人部屋の男子学生寮に入寮するんですが、これが転機でした。

その学生寮は、毎年多くの有名企業に卒寮生を輩出しており、その繋がりで外資系大手IT企業の学生向け製品マーケティングプログラムに参加するようになりました。活動を続ける中でIT業界の面白さや可能性、ビジネスのおもしろさに触れることができたのです。また、奇しくも日本でFacebookを日本コカコーラさんやユニクロさん、無印良品さんなどの企業が、マーケティング利用を始めたタイミングで、ビジネスになるのかとFacebookページの受託制作をフリーランスで始めてお仕事をもらうようになって、どんどんこの業界にハマっていきました。加えて、何社か創業準備を手伝わせていただいて、がむしゃらに色々なことをしていたのですが、キャッシュが無くても日本だとどうにかして生きていけるなと思ったのもこの頃でした。

転職を決めた理由

このように学生をしながら働く中で知り合ったのが前職の役員であり、インターンから新卒として入社し合計約3年半を過ごすことになりました。当時は創業したてで、両手で収まるくらいの人数もいない会社。自社事業は持っておらず、自社事業を行うためのキャッシュを受託開発で稼ぐフェーズでした。
そのような中で受託開発事業のWEBディレクターとして、音楽レーベルやエンタメ企業を担当し、クライアントとの要件定義や開発のディレクションなどを、また新規事業のWEB・アプリマーケティング、SEO、事業計画を作成したりと、ベンチャーならではの領域にかかわらず様々なことを経験しました。

転職のきっかけは、会社の急激な事業縮小です。3年半で会社のフェーズは大きく変わり、数億円規模のファイナンス・数十名の採用・新規事業への大型投資と急拡大を続けていました。しかしながら、大型投資をした新規事業がプロダクトマーケットフィットに失敗。世の中に受け入れてもらえる価値がなかったのだと理解しました。0→1に関わる貴重な経験が出来たと思う一方、今度はプロダクトマーケットフィット後の1→10のフェーズを経験したいと思い、転職を決意。その中で、当時数十億規模の大型資金調達をしていた数社の候補から、経験のないB to Bのサービス・プロダクトをしている企業のラクスルへの入社を決意しました。

ラクスルでの仕事

2016年1月の入社当時はまだ人数も少なく未熟なところが多々ありました。既に大型調達をしており一定成熟したイメージを持っていたため、正直ギャップを感じましたね。新年一発目の挨拶もそこそこにオペレーションに関する議題で紛糾した入社初日の全体朝会は今でも強烈に印象に残っています。

当初は、マーケティング部での採用でWEBマーケティングやSEOなどの業務をする予定でした。何かしら目に見える仕事があるわけではなく、自身で仕事を拾って働くようなかたちで、またプロダクトマネージャーという役割もなく、エンジニアが機能の仕様を決めてリリースしているような状態だったので、前職の経験を活かしてプロダクト側のフォローを始めたのが、ラクスルでのプロダクトマネージャーとしてのキャリアの始まりでした。

そこから約3年半、プロダクトを通して商品開発・オペレーション・基幹サービス・危機対応と数々のミッションに携わりましたが、始めて関わったプロダクトはチラシを店頭で受け取りできるプロダクトと、翌日にバイク便で届くというプロダクト(※当日出荷サービスリリースに伴い既にサービス終了)です。このサービス、リリース日は決まっていたものの、プロダクトについては残り1ヶ月を切った状態で、デザイナー・エンジニアともに何を作るか知らないような状態でした。そのためとりあえず関係者揃えて作るものを確認し、スケジュールをリスケすることから始まりました。そこから要件定義などに取り掛かり、なんとか1ヶ月半でプロダクトをリリースできました。

入社直後にいきなりコミュニケーションのハブになるのはかなりドキドキしたのですが、さらにドキドキに追い打ちをかけたのが、せっかく仕切り直したのにも関わらず受発注構造を変更したいという、当時PJリーダーを務めていた高城さんの要請です(笑)。正直「まじで?!」と思いましたが、要件を削りつつ変更も行いなんとかやりきりました。

ちなみに、構造の変更決断自体は合理性も納得感もあり、今振り返ると良い決断だったと思います。高城さんは本件以外でも複数のプロジェクトで修羅場を共にしたいわば戦友。このあたりは高城さんといつか夜通し飲み明かしながら語りたいなと思っています(笑)。

その後はブラウザ上でデザインができる機能の提供や、オペレーター向けの管理機能、印刷パートナー向けの受発注機能、スピードチェック入稿というお客様が印刷のデータチェックを行う機能など多くのプロダクト開発にアサイン、現在は、前述のデータチェック周りの改善や、その他業務の自動化をする機能の開発を中心にプロダクトを見ています。

私はエンジニア出身のPdM(プロダクトマネージャー)ではなくどちらかといえばビジネス側の人間です。その上でPdM(プロダクトマネージャー)として自分なりに大切な事(当たり前ですが..)は、「自身が作ったものという責任と自覚を持つ」「各ステークホルダーの話を聞いて議論を活性化させる」「どう思われようと、どのような手段を取ってでもプロダクトを前に進める」ということ。数々のミッションを通して修羅場や火事場での決断を潜り抜けた今、自身のPdMとしての知見や引き出しの広がりを日々実感することが出来ています。

ラクスルについて

ビジョンの通り、世の中・業界の課題に限らず自社の課題も含めて一つ一つを仕組み(テクノロジー)の力で変えていける会社だと思います。

ラクスルでは、印刷・広告・物流という業界をメインにビジネスを行っています。こういった業界ではサービス提供のプロセスが長く複雑になりがちで、印刷でいうと商品が手元に届くまでをこれまで営業が介在してきました。

ラクスルではプロセスからテクノロジーの力で簡素化・効率化し、ユーザーのニーズに答えられる仕組み作りに取り組んでいます。時には、ユーザーやパートナーのもとに赴き課題理解に努め、それらを関係者含めて話し合いPDCAを回しながら、テクノロジーで解決を試みていくという点は、どこにも無い面白みがあると思います。

また一緒に働いているメンバーも飛び抜けて優秀で、スピーディーにプロダクト開発を進められるのも良い点だと思います。

今後どういうことをしていきたいか

「人の動きを変える」ということを最近はラクスルでも個人としても1つのテーマにしています。

前述しましたが、ラクスルは印刷・広告・物流の旧来の仕組みや慣習が多く残る労働集約がベースとなる産業の中でチャレンジをしています。日本社会はこれからさらに超高齢化、労働人口の減少という問題にぶち当たる中で、我々がチャレンジしている市場は例に漏れず特に労働者不足が課題となっています。また自社の中でも急速な事業成長に対して、人の頭数で解決をしないような仕組みが必要となる中で、業務環境に身を置く人の動き、思考を観察しプロダクトへ落とし込んでいくことが必要であると考えています。

観察したことをプロダクトに反映することで、「これまで10人でやっていたことを1人でできるようにする」「事業が10倍に伸びても労働者の人数は変化しないで済む」「若者からお年寄り、外国人実習生、障がい者の方々も同じ仕事ができる」といった仕組み・プロダクト創りや、仕組み・プロダクトが旧来の業務と置き換わることで、人だからこそ出せる付加価値に集中できる環境を作っていければと考えています。

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